「忘れられる権利」 – 透明性とオープンデータに対する脅威?

2014年5月26日 in News


(訳注:元記事の著者Rufus Pollock は英国OKFの共同創設者であり、エコノミストであり、ケンブリッジ大学 Centre for Intellectual Property and Information Law のアソシエイトです。従って英国以外の法域の判例を必ずしも踏まえているわけでは無いことを予めお含みおきください。)

最近の欧州司法裁判所(ECJ)判決は、プライバシー、透明性およびオープンデータが「忘れられる権利」に関する議論の高まりに、どのように作用し直接関係しているかということに影響するかもしれません。判決の要約からは、情報を公表する組織が、個人がその削除を要求した場合は、その情報が真実で「公記録」に関わるものである場合ですら、情報を「取り下げ」たり削除したりしなければならない可能性がある、ということが分かります。

これは、単にGoogle のような巨大企業のみならず、ビッグかスモールかに関わらずオープンなデータベースの作成者にとっても、潜在的に仕事や責任を増やすことになる重大な変更です。いわゆる「忘れられる権利」は、私たちの多くが個人のプライバシーの損失について持っている正当化された懸念を間違いなく隠蔽化します。しかしながらこの決定は同時に、主要な公益情報政府と企業の説明責任の中心となる類の情報)の公表と便宜に対して著しい(意図しない)逆効果となる可能性を持つようにも見えます。

Personal Data, Privacy and Open Data working group における、これらやオープンデータとプライバシーの領域に関連するトピックについてのより多くの議論

Forgotten

判決とその意味するもの

この事件の核心は、1998年から続いている自身に関するウェブ・ページをLa Vanguardiaのオンライン新聞アーカイブから、そしてとりわけその記事にリンクしているGoogle 検索の結果からも取り除いて欲しいという、市民によるリクエストでした。

今回問題のページには、人が通常合理的な「公記録」だと考えるであろう情報が含まれており、特にECJによって要約されているように、それらは「その市民が負っている社会保障負債を回復するのに付随する付属訴訟手続きをオーガナイズした、不動産オークションの発表を含んでいました。」

最初の事例でこれを扱ったスペイン・データ保護機関(AEPD)は、その中で多少驚くべき判決と思えるものを作りました:

  • 彼らは、問題の情報は適法に公表されたものという見解をとって、La Vanguardiaに対する申し立てを拒絶しました。
  • しかし、彼らは、Google に対する申し立てを支持し、「そのインデックスからデータを取り下げ、かつそのデータへのアクセスを今後できなくするために必要な手段を講じることをそれらの2つの会社[Google Spain および Google Inc]に要求しました。」

ECJ(事実ではなく法律に基づいて考える組織)は、次のように述べて、AEPDの判断の法的なロジックを本質的に支持しました:

法廷は次のような判決を下しました。オペレーター[例えば、Google]はある状況では、第三者によって公表され、その人の名前に基づいて検索の後に表示された結果のリストから、ある人物に関係のある情報を含んでいるウェブ・ページへのリンクを削除しなければならない。この法廷は、名前や情報がこれらのウェブ・ページから、前もってあるいは同時に消去されない場合にも、そして、このケースがそうかもしれませんが、それらのページ上でのその公開がそれ自体で合法である場合ですら、このような義務が存在するかもしれないということを明らかにします。

一瞥して、この決定にはいくつかのやや実質的な意味合いがあります。例えば:

  • これは、「公開の」(オープン)データ及び情報を収集、キュレートする人々に潜在的にかなり実質的な義務を課すことになります。例えば、情報を削除する(そして、持続的な法令順守を保証するためにこれが前進していることを追跡し続ける)リクエストに応えることを。
  • これは個人に、強い「公益」要素を持つ情報の取り下げを要求する権利を与えるように見えます。例えば、ある人が汚職の有罪判決を下された会社の役員だったという(真実)事実をリストするかもしれない、企業体に関する情報を提供するオンライン・データベースを想像してください。この判決は、役員がその削除を要求することを認めることになるのでしょうか?

特に注目すべきことは、この決定が、データが公式ソースからのもので(かつ正確で)あったとしても、その情報の下流の収集者が(一次資料から情報を削除する必要がない場合でも)それを削除することを要求される可能性があることを示唆するように見える、ということです。

私たちは、もちろん、あらゆる情報の保有者は(一次資料であれ収集者のものであれ)様々な状況下での内容を削除する法的(及び道徳的)な義務を負っていることを心しておかなければなりません。最も明らかなのは、何かが間違っていたり、何らかの個人情報が誤って公表された場合に、削除するべき義務がある、ということです。これは、既に透明性およびオープンデータ・プロジェクトに対して影響を及ぼしています。

例えば、OpenSpending プロジェクトでは、情報は(英国においては)個々の支出トランザクションの明細を含む政府資金に関する公式なソースから集められます。
(偶然に)公表されたトランザクションの説明が人に関する機微な情報を提供してしまう可能性はありえます(例えば、被虐待児に関する社会サービスへの支払いで、子どもの名前がリストされている場合、こういうことがありえます)。そのような状況では、一次資料(ガバメントデータ)およびOpenSpending の双方とも、個人情報をできるだけ速やかに校正する責任を持つことになるでしょう。

しかしながら、ここで議論された事件は、人が通常「公益」情報と考えるものに関係がありました。伝統的に、社会は、様々な公益領域の透明性に係る関心がプライバシーに勝ることを受け入れてきました:例えば人は、誰が有限会社の役員か調べたり、選ばれた代表者の名前を知ったり、あるいは有罪判決を受けた人が誰かを知ったりすることが可能であるべきです。(犯罪者の有罪宣告が一定期間後に、記録から消去されるシステムを持っている国があることに留意する必要はありますが)

この判決は、理論上あるいは事実上これをひどく損なうもののように見えます。

とりわけ、Google のような会社はこの判決が好ましくないかもしれない一方で、究極的には法令順守すべきリソースを持っています。(実際、これは参入障壁を上げることになるので、彼らにとって良いことなのかもしれません!)しかし、オープンデータ・プロジェクトにとって、この判決は本質的な問題を生み出します。例えば、Wikipedia、Poderopedia、OpenCorporates あるいはOpenSpending のようなオープンなプロジェクトは、たとえ、情報が別のところで公表された材料に由来するものだけを集めていて、かつ明白な公益要素を持っていたとしても、今や個人データ保護の侵害に基づく情報を削除するリクエストに対処しなければならないだろう、ということが現実味を帯びています。

インターネットの永続的な記憶、そしてFacebook やGoogle のような企業による私たちのパーソナル・データのコントロールは疑いも無く、私たちのプライバシーに対する権利、そしてまさに私たちの公開/プライベート分割の概念への巨大な挑戦を出現させています。しかし、私たちは求職の見込みを不利にする、古びたFacebook の写真に対する正当化された関心を、透明性を損ない、オープンデータの可能性をむしばむ条件反射的な反応に結びつけさせてはなりません。

これに関するより多くの議論とPersonal Data, Privacy and Open Data working group でのオープンデータとプライバシーの領域における関連トピック

ECJ 要約の抄録

ECJの要約から抜粋されたものです:

(訳注:以下訳出省略。元記事を参照。)

画像:Forgotten by Stephen Nicholas, CC-BY-NC-SA

原文(2014/5/22 Open Knowledge Foundation Blog 記事より):
Original post The “right to be forgotten” – a threat to Transparency and Open Data? / Rufus Pollock, licensed under CC BY 3.0.

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