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「オープン」からはデータ以上のものを要求すべき:国際オープンデータ会議における考察

2015年6月15日 in Featured, News

(訳注:この記事は sunlightfoundation.com 記事の日本語訳です)

オタワの2015国際オープンデータ会議で話すサンライトのリンゼイ・フェリス。(写真のクレジット:John Wonderlich/Twitter)

先週(訳注:2015/5/28-29)、カナダ政府、国際開発研究センター、世界銀行、および開発ネットワークのためのオープンデータ(Open Data for Development Network)は、約2千人を招いてオタワで3回目の国際オープンデータ会議(IODC)を開催しました。イベントは、今年のオープンガバメント・コミュニティ向けの最大の集まりのひとつであり、、オープンガバメント・コミュニティがいかに有意義な変化を作り出すことができるかというやや困難な課題に立ち向かうために、私たちは招かれました。

私たちは、ガバメントデータが、普通の市民生活の向上にどのような影響を与えるのかを識別してほしいという依頼をよく受けます。実際この質問は、IODC期間中に何度も聞かれました。たとえば金曜朝の本会議の間、ガバメントデータの公開は究極的には利用者(たいていは市民)の便益となることが目的だということには合意が得られているように思えました。しかし、ソフトウェア開発者、研究者と公務員などでいっぱいの部屋にいた聴衆のひとりが立ち上がって辛辣に尋ねました「それで、このパネルにはなぜ利用者がいないんだい?」。この状況は、特に開発について話す時に、ちょうど今、オープンデータ・コミュニティ内で私たちが直面している重大な挑戦のうちのひとつをカプセル化しているように思えます。知識共有は、車輪の再発明(よりよい慣用句が無いのであえて使いますが)を避けるために有意義であるかもしれませんが、私たちはコミュニティ内のアイデアの多様性を確かなものにするために、通常の重要参考人にとどまらないステークホルダーと話す必要があります。私たちと同じ困難に遭遇した人々にだけ相談することは、オープンデータプロジェクトの実施などにおいて、私たちがリーチしようとしている様々な利用者本位という、これらのプロジェクトの中で最も重要な面を無視することになってしまいます。

さらに悪いことに、こういった分断は時として彼らがターゲットとしようとしているツールを作る人と聴衆との間のみならず、コミュニティ自身の内部にも存在することがあります。説明責任とオープンデータの間で働いている組織として、私たちは異種の2グループの中間でそれがいかに孤立し得るかをよく理解しています。シビックハッカーと政策提唱者は時として会話を交わさないこともあり、政策とテックの興味を結婚させようとしている取り組みは極めて少ないように思えます。しかし、私たちの最大の挑戦のひとつである「オープンデータにこの先何を求めるか」といったことに取り組む上で、視点と興味の多様性を増大させることは極めて重要です。

政府のオープンネスは、この領域内のNGO、シビックハッカー、ジャーナリスト、そして政策立案者が活動目標として目指す価値があります。3年前D.C.の世界銀行に集まった100人から、2千人規模の1週間に及ぶ国際オープンデータ会議への飛躍的な成長がその証拠です。しかしながら私たちはまだ、不公平な権力機構をゆさぶり、政府をより効率的で説明責任を持つものとするには、どのようにデータを利用できるかといった核心的な部分には到着していません。疑い深い人たちは、すべての重要な決定と行動をクローズドにしておきながら、政府がオープンだと認めさせようとする試みとして「オープン・ウォッシング」という用語を作り出しました。(訳注:参考記事:「オープン-ウォッシング」 – データをオープンにすることと単に利用可能にすることはどう違うのか)そして、多くの他のものと同様、「オープンネス」がたいていは政府が脅威を感じ得る高価値のデータセットのところで終わってしまうように思えることについて、私たちはよく不満を口にします。そして、利用者の参画やこれらのより大きい問題への取り組みよりもむしろサービスの提供に関する私たちの分野へのフォーカスを考えると、こういった批判には何らかのメリットがあります。

ある程度まで、オープンガバメント・データとサービス提供の供給側のこのコミュニティのフォーカスは完全に意味を成すものです。オープンデータが市民の生活を改善し長期的には政府を変容させたということを示すよりも、どれほどの人々がそれを利用したかということに関するツールのインパクトを示すのははるかに容易です。そして価値を示すことは市民社会組織と政府がともに何かしら一定の方向への後押しを受けることにつながります。しかし特に私たちが解決しようとしている問題を考えると、あいにくこの仕事のインパクトは突然、一晩で可視化されるわけではありません。そのコア部分では、私たちは長年の問題を解決するためにデータを利用しようとしています:政府が市民により良く仕えるにはどうしたら良いでしょうか?もしこの疑問が、より多くの政府情報を公開するのと同じくらい簡単なソリューションによって解決できるものならば、何年も前に行われていたでしょう。

ここサンライトでは、私たちは、これらのやや大きい課題を前進させることに実際に投資されます。私たちは、誰もすべての答えを持っているわけではないということに十分気づいており、たとえどのような必然的な挑戦が立ちはだかっていても私たちの戦略が変わり続けるべきであると信じていますが、私たちはこれらの仲介的な挑戦のうちのいくつかを何通りかのやり方で取り扱うために働いています:

  • オープンデータのインパクトの定義。オープンガバメントのプロジェクトは、他のステークホルダーとイニシアチブの関与が持続可能な変化を達成するのに不可欠な環境において機能する傾向があり、私たちがその達成に向けて努力するプロジェクトの活動とインパクトの間の因果関係を示すことをいっそう難しくさせています。1ヶ月前、サンライトは、変化の理論をひも解き、オープンデータの成果と複雑な生態系内のデジタル透明性イニシアチブを評価するために、方法論的な枠組(アウトカム・マッピング・アプローチ)を用いて研究結果を出版しました。私たちは、先週IODC研究シンポジウムその他のパネルで研究成果を提出しましたが、私たちの成果と長期にわたる社会的変化の間のミッシング・リンクを見つけるために、コミュニティからの意見をもっと聞きたいと考えています。
  • 多様なネットワークの育成。サンライトは、OpeningParliamentとMoney, Politics and Transparency(お金、政治と透明度)(MPT)という、議会および政治的な資金調達を、よりオープンで、説明責任を果たし、参加しやすいものにするために、合意に基づいて政策提唱者と市民技術者を同じテーブルに連れて来るようにデザインされた2つのネットワークの共同設立者です。IODCでは、私たちは、議院法学者のための倫理と標準を議論するために、会議のプレイベントの間にこれらの2つのイニシアチブを呼び集めました。このワークショップの中で、私たちは政治資金やコミュニティ文書のオープンネスに係る宣言についていくつか貴重なフィードバックを受け取りましたので、政治資金の透明性を増し、よりオープンな政治システムを求めるために、これらの2グループの間のギャップに橋を架けられるよう努めたいと思います。MPTパートナーは、Global Integrityおよび政治資金の改善が専門のネットワークの養成により実施されたグローバルな政治資金の実践についての新しい研究を議論するために、共同パネルも開催しました。私たちはこれらの国際的な規範の構築にあたり、フィードバックを歓迎します。MPTプロジェクトの文書や詳細についてのお問い合わせは、international@sunlightfoundation.com まで。

原文(2015/6/3 Sunlight Foundation Blog 記事より):
Original post We should demand more from “open” than just data: Thoughts on the International Open Data Conference / Lindsay Ferris, licensed under a Creative Commons Attribution 4.0 International License.

okfj

by okfj

「オープン-ウォッシング」 – データをオープンにすることと単に利用可能にすることはどう違うのか

2014年3月19日 in Featured, News

(訳注:この記事は本家OKFn.org記事の日本語訳です)

(これは、オープン・ナレッジ・ファウンデーション・デンマークのサイトに投稿された「“Openwashing” – Forskellen mellem abne data og tilgangelige data」のChristian Villum によって翻訳された英語版です)

先週、デンマークのIT雑誌Computerworld は「デジタル・イノベーションのために知っておくべきチェックリスト」というタイトルの記事内で、利用者にあなたのデータへのアクセス権を与えることがいかによい経営戦略であるかということに、次第に多くの会社が気付き始めていると強調しました。そこには次のように書かれています:

(デンマーク語からの翻訳)アクセンチュアによれば、自分たちのデータがあらゆるサプライ・チェーンで扱われるべきだ、ということは多くの進歩的なビジネスにとって明らかになってきています: 例えば完全にオープンなAPIによって、組織全体を通じてそしておそらく生態系全体へすらも、容易に、円滑に流れるべきです。

この記事では例としてGoogle Mapsを使っています。これは第一に、全く正しく無く、Google Mapsがいかにローデータを提供していないかと説明するネオジオグラファー(いわばジオデータのブロガー)も指摘しているように、単にデータをもとに画像化したものに過ぎません。データのダウンロードや操作、そして自分のサーバ上で実行したりすることは認められません。

第二に、私は、Google とそのマッププロジェクトを、そのデータをパブリックに円滑に流すビジネスの黄金の例として強調することが適切だとは思えません。彼らが何らかのデータを提示しているのは事実ですが、非常に制限のある方法でのみ – そして明確にオープンデータとしてでは無く – それゆえに、記事が示唆するほどには進歩的ではありません。

確かに、一般に進歩的でないことでGoogle を非難するのは困難です。記事には、Google Maps のデータが800,000以上のアプリケーションおよびビジネスによっていかに世界中で使用されているかについて、書かれています。ですから、確かに、Google はそのサイロを少し開けました。しかし、非常に制御され、制限のある方法であり、これら800,000 のビジネスをGoogle からのデータの連続的な流れに依存し、さらにそれゆえ、彼らがまさにそのビジネスの基盤となっている商品をコントロールすることを許可しないままにしているのです。このような特別なデータのリリース方法は、私たちが直面しているような課題をもたらします: データを利用可能であることと、それらをオープンにすることとの違いを知ることです。

オープンデータは単に利用可能であるだけでなく、法的にオープン(せいぜいその出所の表記や同じライセンスの継承くらいで、全体の自由な再利用を許可するオープンなライセンスの下でリリースされている)であると同時に技術的にも一括して、および機械可読な形式で(Google Maps の場合との対比で)利用可能である、という点に特徴があります。彼らのデータは利用可能であるかもしれませんが、オープンではありません。これが、とりわけ100%オープンであるオルタナティブとしてのOpenStreetMap 周辺のグローバルなコミュニティが急速に成長し、代わりにこのオープンイニシアチブを自分のサービス基盤とすることを選択するビジネスが増えてきている理由です。

しかし、データが単に利用可能なだけではなくてオープンであることが重要なのはなぜでしょうか?オープンデータは社会を強固にし、共有の資源を構築します。そこでは単にデータを収集したり公開する人々だけではなく、あらゆる利用者、市民そしてビジネスがみな豊かになり、力を与えられます。「しかし、なぜビジネスはデータ収集にお金を使った上で、それを人にあげるのでしょうか。」という疑問はあるでしょう。あなたのデータをオープンにすることと利益を得ることは相反するものではありません。少しGoogle を検索してみると、オープンデータを提供しつつその上でのビジネス展開を行っているビジネスが多数あることが分ります。そして私は、これらがComputerworld などでの記事において特に進歩的なものとして強調されるべきものであると信じます。

一例として英国の会社OpenCorporates が挙げられます。彼らはその数が増えつつある企業登録データのリポジトリをオープンデータとして提供し、それゆえに自分自身を、その分野で欠くことのできない資源として如才なく位置づけています。このアプローチは、ビジネスと公共部門の両方に対してコンサルタント・サービス、データ分析および他の個別サービスを提供する機会を強化します。別のビジネスでのデータ利用も歓迎です。競合するような利用や別のサービスを作成するものであっても構いません。しかし、同じデータライセンスの下であることが前提です。それゆえ、OpenCorporates に役立つ派生的な資源を提供しています。ここに、効果的にサイロを撤去し、関連ビジネスのみならず社会に対する価値を創出する、真のイノベーションと持続可能性があるのです。オープンデータは私たちの社会に成長と革新を創出します。一方、Google のようなデータ提供方法は、おそらくたいていはGoogle のための成長を創出します。

私たちは、「オープン-ウォッシング」(「グリーン・ウォッシング(訳注:環境広報活動)」からのもじり)という用語の上昇傾向を見ています – これはオープンではなく、単に制限条項の下でのみ利用可能な場合ですら自分たちのデータがオープンであると主張しているデータ公開者を意味します。もし我々が – データドリブン社会の発達期というこの重要な局面で – その違いに批判的に気づいていない場合、私たちは結局、国際的な企業が構築し所有するサイロ化されたインフラストラクチャーにコアとなるデータ・ストリームを入れて終わるでしょう。それだけでなく、間違った種類の持続性のない技術開発に対する賞賛と支援を与えることになるでしょう。

オープンデータに関してもっと知りたい方は、オープンの定義及びオープン・ナレッジ・ファウンデーションによるこの入門書のトピックにアクセスしてください。ご意見はオープン・ナレッジ・ファウンデーションのメーリングリストまで。

原文(2014/3/10 Open Knowledge Foundation Blog 記事より):
Original post “Open-washing” – The difference between opening your data and simply making them available / Christian Villum, licensed under CC BY 3.0.